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平成最後ということで、和暦について調べてみました

平成最後ということで、和暦について調べてみました

2019年になりました。

2019年といえば、改元が行われますね。昨年夏くらいから、「平成最後」と色々なイベントが煽られていました。

で、現在2019年の1月は和暦で何年に相当するかというと、今のところ平成31年らしいです。5月1日の改元後は"新暦"元年として、2019年は扱われるようです。和暦って、こんな風に扱われるんですね。

ついでに和暦について少し調べてみました。

  • 和暦のスタート

一番最初の和暦は、孝徳天皇(36代)が制定したようです。その時の和暦は"大化"です。歴史の教科書でも出てくる「大化の改新」の大化です。大化元年は西暦645年に相当するようです。ということは、和暦は1400年近くの歴史がありますね。

日本の歴史史上、天皇が同時に二人いる時代が存在しました。室町時代南北朝時代ですね。で、その南北朝時代は和暦がどうなっていたかというと、ちゃんと南朝分と北朝分の2つあったとのことです。

  • 昔はちょくちょく改元していた

 現在は1天皇につき、1つの元号となっていましたが、昔はちょくちょく改元していたようです。Wikipediaで調べてみたところ、明治天皇の前の孝明天皇は、7つの元号にまたがっていました。災害や飢饉等、何か良くない出来事が発生した折に、改元していたようです。

ちなみに和暦は、一番最初の大化から数えて平成が247番目とのことです。和暦を最初に制定した孝徳天皇が36代で今上天皇が125代ですので、単純計算で一天皇につき2.7個の元号があったことになります。(南北朝時代元号がダブルカウントされているので、実際はもう少し小さい値となりますが)

そのような状況は、一世一元の詔(1868年)によって、明治に改元すると同時に、天皇一代につき元号は一つと定められ、終わりとなりました。

昔の基準でしたら、東日本大震災は十分改元するに値する出来事だったでしょうね。

ちなみに江戸時代、庶民は主に干支を使って年号を把握していたようです。十干(10個)と、十二支(12個)を組み合わせて、60年分カウントできます。今でも還暦という言葉は良く使われますね。10個(十干)×12個(十二支)で120年分カウント出来そうですが、結びつかない組み合わせがあり、60年となるようです。

江戸時代の平均寿命が30~40歳と言われているので、60年分もカウントできれば日常生活は困らなかったのでしょうね。1つ前の組み合わせの干支も考えれば、一応120年分のカウントも可能できますね。

  • 和暦の長さランキング

平成は31年で終わる予定ですが、これは歴代4位の長さらしいです。

歴代1位は昭和(64年)、2位は明治(45年)、そして3位は応永(35年)らしいです。応永って何か調べたところ、室町時代で1394年から1428年のことでした。

ちなみに平成は247個目の和暦で、一番最初の大化元年は645年です。よって元号の平均の長さを計算すると、約5.6年です。(上記と同じく南北朝時代でダブルカウントされています。)上記の元号がいかに長いか、実感できますね。

 

以上です。

ところで新しい元号ですが、新天皇の即位1ヶ月前の2019年4月に発表されるそうですね。1ヶ月前とは、もう少し余裕は作れなかったのでしょうかね? 一応IT関連の業種についている身としては、ソフトエンジニアが大変だなぁという印象です。(私はエレキエンジニアなので、直接は関係ありませんが。)

元号が発表されて、1ヶ月でリリース前の最終テスト、リリース、および元号を使用する各ソフトウェアのアップデートが入るってことですよね?万が一最終テストでバグが発見されたり、各ソフトウェアのアップデート攻勢で倒れる人が出ないことを祈るばかりです。